北斗星(3月26日付)

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 「こっちに目線(めせん)下さい」。壇上の選手に大勢のカメラマンの声が飛んだ。都内で先週開かれた平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピック日本選手団解団式の一こまだ

▼1997年鹿角スキー国体で少年男子距離の岡山県代表として健常者と競った隻腕の新田佳浩選手(37)も、金メダルを胸にカメラマンが手を上げる方へ顔を向けた。だが選手団には視覚障害者も1人いた。「こっち」では分からないだろうと思い、視覚障害部門の距離とバイアスロンに出場した高村和人選手(35)=仙北市出身=を見ると、困った顔をしていた

▼高村選手に大会の感想を聞き、最初に返ってきたのが「四肢障害のある人に比べ、視覚障害者がスポーツに打ち込む環境が整っていないとあらためて感じた」との答え。日本が冬季パラリンピックに視覚障害者を派遣するのは、2大会ぶりだった

▼高村選手は岩手県立盛岡視覚支援学校の教師。普段は自立のために鍼灸(しんきゅう)師などを目指す生徒を指導している。大会では失敗もあって入賞は逃したが、「練習してきた成果は出せた。そこは自信を持って生徒に伝えたい」と語った

▼冒頭の目線の注文についても尋ねると「『こっち』ではなく右とか左とか言ってくれたら『取材でこんな配慮があったよ』と生徒にいい報告ができたんですが」と残念がった

▼「終わったばかりで次の大会については考えられないが、いい経験だった」と振り返った高村選手。「もうすぐ新学期が始まります」と教師の顔に戻って話した。